3月11日

かんから・カン 店長

2015年03月17日 11:34

先日「もう3月11日か」のタイトルでブログを書いたのですがおそらく皆「東日本大震災」のことでも書くのではないかと思われたでしょう。ボクも朝の報道にてそのことは重々承知だったのですがブログを書くときにはそのことは頭の片隅にもなかった。家に帰り小4年の娘が「お父さん今日何の日?」と言われても「ハー?」「何寝ぼけているの、東日本大震災が起こった日でしょう、もう~まったく」父親としての威厳を落としてしまった。4年前のあの日も昼寝をしている最中長女が学校から帰ってくるなり「お父さん、東北で大きな地震があったみたいよ」と言われラジオをつけると(我が家にはTV がないもので)ただならぬ状況をすぐに察知しお店に駆け込む。TVをつけると映画のワンシーンでも見ているかのような現実的には受け付けられない信じられない状況に呆然と立ち尽くすしか出来なかった。ボクにも岩沼出身の友人、彼の母親もおられ、そしてお客様に亘理町出身もおられ宮城県の実況、岩沼、亘理町が生放送されるたびに胸が締め付けられたのを今でも記憶する。そして福島の原発の問題それらも時が経つたびに私達の記憶の中から次第に薄れてゆくのでしょうか?人間の脳のいいところは悪いことをどんどん消し去るから生きていけるのであり、もしも脳がその「消し去る作業」が出来なければ人間はおそらくここまで進化できなかったでしょう。ある学者の言葉である。おそらくそうであろう。しかし東北の方々は生きている限り一生それを忘れ去ることは出来ないでしょう。いつの日か彼らの記憶からこれらが消し去るまで後何百年たつのだろうか。そして同じ多くの犠牲者がでる。喉もと過ぎ去れば・・・。南海トラフ大地震がこの30年の間に必ず起こる。と先日紙上に書かれておりこのときの死傷者は30万人をゆうに超えると言う。ボクの生きている間にその悲惨な状況にだけは体験したくないものだが・・・。