2014年02月26日

歴史書を読んで 其のー3

その前に昨日の訂正を。「浅井次郎」と書いたのは「浅田次郎」の間違いで彼の文庫本のタイトルは「終わらざる夏」今「中」の半分くらい読んでいます。昨日のブログ中途半端に終わったので少し加筆したい。人間個人にも歴史がありたいていこれは歴史書になることはありえない。しかし、ボクには僕の、AさんにはAさんの歴史がありボクにも「A」さんの歴史を知ることは絶対にできない。現在ボクのお袋は痴呆にて某病院に入院中である。ボクはお袋に若い頃から「何か趣味か友達を作らないとボケるぞ、迷惑するのは子供なんだからな」と口すっぱく言ってきたのだが。案の定人の意見など聞く耳を持たない母親ゆえ、現在の状況になってしまった。元気な頃のお袋からすると今の状態は信じられないのだがこれはやがてボクにも必ず訪れるだろう。-しかしボクは彼女のようにボケることは絶対にないと思う。イヤーボケてはならないのである-避けては通れない運命である。そしていつか「死」をお迎えするだろう。死んだらその人の人生の幕が閉じるのである。では何故この世に人は「命」を与えられ「歴史」を作らされるのだろうか?過去の偉人達と何も「歴史」としては変わらないのにである。ボクは8年前に3ヶ月になる女の子を不慮の事故にて亡くした。彼女は何のために誰のために生かされてきたのかと悩みに悩んできた。たった3ヶ月の命である。たった3ヶ月の命で「歴史」で彼女は何を語ったのか。それからボクは「人間は生かされている」ものと確信するようになった。そして「終わらざる夏」に「カムイ・ウン・クレ」とアイヌ語で「神、われ造りたもう。」の一文に出会ったのは昨日である。ボクは、皆様もそうだが自分の「歴史」が閉じるまで、いつかは閉じる人生を一生懸命、有意義に生かされることを、ーいやこの場合は「生きる」だろうー願います。皆で頑張りましょう。いつかは人生の幕が閉じるまで。



Posted by かんから・カン 店長 at 12:55│Comments(1)
この記事へのコメント
一人一人の人生が歴史書になったら、物凄い量の人類の財産になりそうですが、見えないからこそ、人付き合いは楽しいのかもしれませんね。
「人間は生かされている」という考えは、未熟な私にはまだきちんと理解が出来ません。小説ばかり読んでいてはだめですね(笑)
Posted by 中野 at 2014年03月03日 15:26
 
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