2010年03月21日
お袋の家族
「かんからの道」 再開
僕のお袋は何度も家出を繰り返しては兄弟、妹等に連れ戻されは元の鞘に納まっていた。その間に子供6人をこしらえたもんだから不思議である。
昔は(50年位前だろう)別居、離婚という事が家の恥、兄弟、姉妹の恥だったのだろう。周りの身内は必死で捜しどうでもいいから 『一つの家庭』 を維持させた。 『一つの家庭』 内がどうであれ、彼等には関係なく、とにかく世間の声が怖かった又は恐ろしかったと思われる。
その影響をモロに受けたのが四男である。確か3~4才の頃に親戚に一人だけ預けられた事があった。僕が8才の事だから弟が突然居なくなった事を記憶している。
今でも姉達と 「一番○○(四男)が可哀相だったね。嘉手納の叔母さんには申し訳ない」 と話す。おそらく嘉手納(地名)の親戚に預けられたのは確かなのだろう。
お袋の父親は戦前の校長先生までやり、宿舎まであてがわれていたとの事。
2010年3月21日(日)曇り 黄砂がすごい。
僕のお袋は何度も家出を繰り返しては兄弟、妹等に連れ戻されは元の鞘に納まっていた。その間に子供6人をこしらえたもんだから不思議である。
昔は(50年位前だろう)別居、離婚という事が家の恥、兄弟、姉妹の恥だったのだろう。周りの身内は必死で捜しどうでもいいから 『一つの家庭』 を維持させた。 『一つの家庭』 内がどうであれ、彼等には関係なく、とにかく世間の声が怖かった又は恐ろしかったと思われる。
その影響をモロに受けたのが四男である。確か3~4才の頃に親戚に一人だけ預けられた事があった。僕が8才の事だから弟が突然居なくなった事を記憶している。
今でも姉達と 「一番○○(四男)が可哀相だったね。嘉手納の叔母さんには申し訳ない」 と話す。おそらく嘉手納(地名)の親戚に預けられたのは確かなのだろう。
お袋の父親は戦前の校長先生までやり、宿舎まであてがわれていたとの事。
2010年3月21日(日)曇り 黄砂がすごい。
Posted by かんから・カン 店長 at 10:00│Comments(0)