2010年04月01日
幼き頃の嫌な記憶
酔わないともの一つ言えない男だった父親は酒が入るとそのうっぷんを晴らすように人が変わった。
特に昼間(酒が入らないと)母親に忠節な男だったゆえに暴言は無茶苦茶になった。
老いたオバーに対しても容赦しなかった。
そうくると 「くるせー(殺してくれ)もう生きていてもしょうがない、くるせー」 がオバーの得意の殺し文句だった。その後オバーは必ず大通りへ向け歩いて行き片隅に両膝を折り曲げて座り込む。小柄なオバー(1m40cmあったろうか)が余計に小さく見え自然に頬がぬれてしまった。僕は中学になるまで親父を憎んでしまった。
僕達家族は六畳二間と4.5畳の台所、付け足したような4.5畳の子供室の空間に家族9人が暮らしていた。今考えると奇跡のような生活、トタン葺きの木造の家は天井の低いのが嫌だった。
だから僕は今でも 「閉所恐怖症」 である。
しかし、あの頃は皆同じような生活、貧しさの中にも笑いがあっただろうが僕等だけは貧しさ以上に家族間は荒んでいた。
破滅的な生活が続いていた。
2010年4月1日晴れ
特に昼間(酒が入らないと)母親に忠節な男だったゆえに暴言は無茶苦茶になった。
老いたオバーに対しても容赦しなかった。
そうくると 「くるせー(殺してくれ)もう生きていてもしょうがない、くるせー」 がオバーの得意の殺し文句だった。その後オバーは必ず大通りへ向け歩いて行き片隅に両膝を折り曲げて座り込む。小柄なオバー(1m40cmあったろうか)が余計に小さく見え自然に頬がぬれてしまった。僕は中学になるまで親父を憎んでしまった。
僕達家族は六畳二間と4.5畳の台所、付け足したような4.5畳の子供室の空間に家族9人が暮らしていた。今考えると奇跡のような生活、トタン葺きの木造の家は天井の低いのが嫌だった。
だから僕は今でも 「閉所恐怖症」 である。
しかし、あの頃は皆同じような生活、貧しさの中にも笑いがあっただろうが僕等だけは貧しさ以上に家族間は荒んでいた。
破滅的な生活が続いていた。
2010年4月1日晴れ
Posted by かんから・カン 店長 at 10:00│Comments(0)