2010年07月30日
お正月の鮮明な記憶
僕はこの従兄から多くの事を学ばせてもらった。
家の繁栄と没落である。この建物(かんからの前の)は戦後10年で新築したらしい。
その時は沖縄は激戦地だったゆえに建材となる材料が無い。その為建築主(僕の叔父さんにあたる)は大工の棟梁と一緒に宮崎まで材木の買出しに行ったらしい。その時は沖縄は米国の占領地でありパスポートを持って船でしか本土へ行けなかった。
「かんから」 へ来店されたお客様ならご存知だろうが柱は4寸角の杉柱、天井も高く沖縄の住まいとしてはりっぱな建物である。
つまり彼等はお金持ちの部類に入っていた。
僕が小さい頃、お正月になると兄妹6人一緒に朝早くこの『叔父さんの家』 に行くのが楽しみであった。
必ず一人一人に50セント玉をくれるのだった。
あの頃の50セントは子供達にとってはたいそうな金額、夜も明けぬ内から6人この家の前に立って雨戸が開くのを今か今かと待っていたのをいまだに鮮明に記憶している。
小さな手の中にある50セント玉と共に。
2010年7月30日(金)晴れ
家の繁栄と没落である。この建物(かんからの前の)は戦後10年で新築したらしい。
その時は沖縄は激戦地だったゆえに建材となる材料が無い。その為建築主(僕の叔父さんにあたる)は大工の棟梁と一緒に宮崎まで材木の買出しに行ったらしい。その時は沖縄は米国の占領地でありパスポートを持って船でしか本土へ行けなかった。
「かんから」 へ来店されたお客様ならご存知だろうが柱は4寸角の杉柱、天井も高く沖縄の住まいとしてはりっぱな建物である。
つまり彼等はお金持ちの部類に入っていた。
僕が小さい頃、お正月になると兄妹6人一緒に朝早くこの『叔父さんの家』 に行くのが楽しみであった。
必ず一人一人に50セント玉をくれるのだった。
あの頃の50セントは子供達にとってはたいそうな金額、夜も明けぬ内から6人この家の前に立って雨戸が開くのを今か今かと待っていたのをいまだに鮮明に記憶している。
小さな手の中にある50セント玉と共に。
2010年7月30日(金)晴れ
Posted by かんから・カン 店長 at 10:00│Comments(0)