2010年10月31日

家を造るなら~いえを作るなら~NO-4

今日はオヤジの7年忌。「かんからへの道」でもオヤジの事は書きまくったので控えるが、ボクが今55歳になるがオヤジが55歳の頃は何を考え何をしていたのか創造も出来ない。その時ボクは27歳、ということは東京から兄が「精神に異常」をきたし強制的に帰沖させられた人生で一番衝撃を与えられた年、これはオヤジにとっても「人生最悪」の始まりになった年である。まさに「一寸先は闇」である。

昨日のブログで「屋根はプラスチック製の透明のトタン」がいいと書いたが、この「透明」がポイントなのである。上にも記したようにボクが東京から帰る便は最終の飛行機だった、沖縄の上空にかかると丁度北部の方で下を見ると長方形の枡がキラキラ光り輝くのが見えた「何だと思いますか?」その時ボクは「憔悴」の状態、人生の終わりを覚悟していただけにこの「光り輝く」ものに「希望」を見いだしたのだった。電照ギク農園のライトの光だったのです、これが那覇に着くまでエンエン輝いて見えるのです。おそらく地元の人達からすると「公害」に値するものかもしれない「電球」の集合体は、あの頃の私にとっては「希望の光」になったのです。
それからずっーと抱き続けているのが「屋根を透明のトタン」で葺くことなのです。沖縄中の住宅をこの「トタン」で葺くともうこれだけでチムドンドンしてきます、私はこの住宅を「光る家」と命名しています。そして沖縄の観光産業からすれば「希望の光」になるだろうに・・・昼間は室内を明るく照らし夜ともなると室内の光を外へ放射する「光の家」感動的でしょう。


            (日)晴れ  AM10:41



Posted by かんから・カン 店長 at 10:41│Comments(0)
 
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