2010年11月22日

二人の弟

朝起きて便座の前に座る、昨夜のことが夢か幻かである。「うーうー」そんな力む事もないが快適な便・・・恐る恐る便器の中を望み込む、鮮血がない、ちょっと安心する。ボクはいつからなのか記憶にないが「痔もち」である、病院に関わるほどの重症でもない、2~3日ほっとくと痛くも痒くもなくなるので今日まで「共生」してきた。もしかするとこの子が「体を優しく扱わないから、懲らしめるつもりで血を見せたのかなー」と思ったりする。しかし体が「異常なこと」には変わりない、明後日すぐに病院に向かう事を約束します、ボクは絶対に「二人の弟」より先に逝く事は会ってはならない。 

それでは「二人の弟」を始めます。前にも書いたように僕等が育った環境は地獄そのものだった、毎日が夫婦喧嘩、幼い頃両の手をあわせて「明日はお父さん、お母さんが仲良くしますように」と心から祈って眠りに着いたものだ。あの頃は祖母が毎朝仏壇に向かって手を合わせているのをまねていただけかも知れなかった「手を合わせれば必ず願いがかなう」とあの頃は信じていたのだろう。毎日、ケンカの夫婦が子供たちにまともな「教育、躾」を出来るはずがない、まず兄が小学校の低学年でグレた、お袋は「彼」の為なら何でもしたように記憶する、あんなに「長男」の為だけに必死に慣れた母親は見た事がない、彼女は兄を不良仲間たちから切り離せばまともに戻るとでも思ったのだろう。しかしその原因が自分達夫婦がつくりだした「家庭環境」にある事は微塵も考えなかったと思う。今になって思えば両親もまともな「教育」を受けていなかっつたのでその原因を理解することは不可能だった。兄がグレルと「家庭」の骨組が壊れだすのに時間はかからなかった。長姉が「集団就職」と言う名目で家を飛び出した、もしもあの頃誰も逃げずに皆で必死に支えてくれていたらと思うが、これは絶対にありえることではなかった。皆が幼く知恵もなく悲惨なのは「親」が親でなかったことである、。親同士がののしりあい毎日いがみ合う「家族」に未来が開けるはずがなかった。次に次姉がせっかく入った高校を辞めさせられ兄を連れ添って長姉のいる「大坂」へ逃げるようにしていってしまった。完全なる「不良仲間」からの切り離しが次姉の犠牲を伴って強行された。姉も泣いただろうが、祖母が一番泣いたと思う。オバーは彼女が「学校の先生」になるのをずっーと夢見ていたのだ、それが急に訳も泣く意味不明のまま自分の目の前から消えたのだから。



Posted by かんから・カン 店長 at 10:14│Comments(0)
 
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