2010年12月01日

飯場で生きる

ボクが22~23歳の頃だろうか弟達の「飯場」に潜り込んだのは。大学を一年でやめ沖縄に帰省し2~3年地元の設計事務所で勉強させてもらったその後だった。貯金が全くなく、いやー出来るはずがなかったと言うのが真実。あの頃の初任給が3万円だった。何故「たったの3万円」と書かないのか、その疑問を抱く人の為に少し触れなければならない事があります、ボクが大学在学中の毎月の生活費は三男が送金してくれていた。ボクが大学に行き「もっと勉強したいとの願い」を親父と下の弟がかなえてくれたのである。入学金を親父が支払い月づきの生活費は下の弟が面倒を見てくれると言う涙ぐましい「親弟愛」であった。彼も兄弟の中から一人でも「大学卒」の肩書きを持った兄が欲しかったのだろう、しかしその大学は「学問」をする場所ではなかった。この理由を書くともっと遠回りをしなければならないので今回はやめて起きますが、もしボクが大学生活を4年間も続けていたらきっと全く別の信じられない想像も出来ない人生を送っていたことだけは確信できる。話を元に戻そう、初めての給料が3万円でもうれしかったのは「3万円も貰いながら設計の勉強もさせてもらえる」その頃は純粋すぎる程の情熱で燃えていたのだろう。そして、下の弟に金銭的な負担をかけなくてすむと言う「安堵感」もあったと思う。2年間3万円の給与が続き次にベースアップがあったのは事務所を止めるといったその月からだった。しかし僕は「沖縄に学ぶものは無い」ずっーと考えていた事をやっと行動に起こした。そして兄が「今まで家の面倒見てもらったから好きなところへ行ってもいい」その一言の三日後には紙袋に着替えだけを入れ彼らの元へ転がり込んでいた。もしあの行動力がなかったら・・・背筋が凍る思いである。ちなみに次のかんから日めくりカレンダーのために作った一言を添えて終わりたい・・・今やるべきことをしないで明日などあるはずがない。まさにそうであった。



Posted by かんから・カン 店長 at 10:32│Comments(0)
 
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