2010年12月06日
飯場で生きる No-4
お袋が一時帰宅しただけで全ての「ペース」が壊れてしまった。特に弟が仕事を休まなければならないはめになっていた。昨夜二人とも寝ていないと言う、正確にはお袋が弟を寝かさなかったらしい。しゃべるははしゃべる、そしてそれに返答しなければ「きいているのかー」と怒鳴り散らす。病気だからしょうがないと割り切れるものではない、これが長く続くと逆に彼が神経をやられてしまう。四人目の「精神病院」通いになりかねない。昨日の話だがおふくろが「死にたい死んで楽になりたい」と言った、そしたら弟が「自分が死にたい、何のために生きているのか解らない」と言い出した。心が凍る思いがしたと言うのはまさにこのようなときだなと心底思った。
このような便利な「共同生活場」が今でもあるのだろうか、30年前の話だから、まして今は「派遣社員」と言うわけの解らない「ピンハネ会社」が横行しているものだからもう無いのだろうな。ホウムレスや路上生活者が大量に発生しているのを見るともう無いのだろうな。それを考えた「安藤社長」には優しさとあったかさを持ち合わせた経営者だったのだろう。じつに皆の面倒をよく見てくれたものだと今になって彼の偉大さが身に染みて解ると言うのもおかしなものだ。あの頃のボクには夢があった。名の知れた「建築家」になるために上京してきており彼らと接する事を極力避けていた。そして、ボクは「共同生活」が出来ない人間でもある、一人で考え一人で行動するのが好きである。相手に気を利かすあまりに自分が疲れてしまい、いい関係も長くいると壊れてしまう。そのためにもボクは「飯場」を早目に抜け出す必要があった。長くいれば居るほど彼らとの関係に亀裂が生じつつあるのをうすうす感じていた。そして半年後に「アパート」を借りられるだけの蓄えをしてそこを抜け出すのだが、まさか2年後にもう一度お世話になるとは考えても見なかった。その時には。
(月)晴れ AM11:00
このような便利な「共同生活場」が今でもあるのだろうか、30年前の話だから、まして今は「派遣社員」と言うわけの解らない「ピンハネ会社」が横行しているものだからもう無いのだろうな。ホウムレスや路上生活者が大量に発生しているのを見るともう無いのだろうな。それを考えた「安藤社長」には優しさとあったかさを持ち合わせた経営者だったのだろう。じつに皆の面倒をよく見てくれたものだと今になって彼の偉大さが身に染みて解ると言うのもおかしなものだ。あの頃のボクには夢があった。名の知れた「建築家」になるために上京してきており彼らと接する事を極力避けていた。そして、ボクは「共同生活」が出来ない人間でもある、一人で考え一人で行動するのが好きである。相手に気を利かすあまりに自分が疲れてしまい、いい関係も長くいると壊れてしまう。そのためにもボクは「飯場」を早目に抜け出す必要があった。長くいれば居るほど彼らとの関係に亀裂が生じつつあるのをうすうす感じていた。そして半年後に「アパート」を借りられるだけの蓄えをしてそこを抜け出すのだが、まさか2年後にもう一度お世話になるとは考えても見なかった。その時には。
(月)晴れ AM11:00
Posted by かんから・カン 店長 at 10:59│Comments(0)