2010年12月10日
飯場で生きる No-8
もしあの時長野の「ダム工事現場」に5年もいたとしたら、今頃は完全に「鉄筋工」の副社長をおおせつかって「安藤社長」の右腕として君臨していたのだろうか?そこに1年間お世話になって感じていたことだが「スタッフ」に恵まれていない印象を強く持っていた。しかしその時ボクは「象設計集団」に行く事ばかりを夢見ており「安藤社長」の事など正直な話「これぽっちも」考えた事がなかった。しかし今になって何故?彼の存在を強く「意識」するようになったのだろうか、会社の規模は異なるけれどおなじ「経営者」として「共通の悩み」を感じているからだろうか、それから「社長」とは5年後にお会いするのだがこれが最後の再会になってしまった。最初のカミさんとの新婚旅行兼荷持つ整理のため東京をたずねたときに、社長に招待されたのが「彼が経営するバー」であった。その時下の弟はまだ彼の鉄筋会社に勤めていた。そしてボクが東京を後にする時に彼に一言暗示を言った。「この会社は長くないから他の鉄筋屋さんを探したほうがいい」案の定1年後に「倒産」して皆チリチリバラバラに散らばったらしい、その時社長は色々な事業に手を伸ばし相変わらずの「ワンマン」経営、しかもこの「バー」に毎夜入りびたりで会社は「専務」に任せていたらしい、あの頃の八王子界隈は人一人通ることのないド田舎、客がいないものだから「スタッフ」つまり弟達従業員に電話をかけ毎夜彼らを総動員させての「バー」の経営であった。ということを弟から聞いていたし、バーでの社長の行動に「異様」なものを感じて「この会社は長くない」と弟に話したのである。もしも?人生にもしもはありえないが、ボクが側にいたらどのような人生を・・・お互いがどのような人生を歩んでいたのか一度体験したい誘惑は抱く。それ程デンジャラスだった。
(金)晴れ AM9:47
(金)晴れ AM9:47
Posted by かんから・カン 店長 at 09:47│Comments(0)