2010年12月14日

飯場で生きる  No-9

昨日も今日もお袋から電話が来て「解った向こうの病院に行くから早目に手続きしてくれ」と、催促の電話が来る。まー「病室」の空くのを待つしかないのでこちらからは催促できないのだが、ついにオフクロも観念したのか、それとも彼らといるのが苦しいのかもしれない。しかし、しょうがないと言えばしょうがないのだが老いたら一生そこに「居れ込む」というのもおかしな話ではある。自分には納得できないところもあるが他に「手立て」がない「万事休す」なのも確かである。ボク達兄弟が「老いてから」このような仕打ちが自分達のみに降りかからないことをただ祈るしかない。

それから弟も2~3年後に沖縄に帰ってきた。「飯場」がなくなって初めて「アパート」で生活しながらの鉄筋工の仕事がどんなに苦しく辛いものか身に染みた事だろう、「飯場」にいれば洗濯と掃除さえすればいい、後は住み込みの「おばちゃん」達が全部やってくれる。こんな楽な生活はない。それを意識的に計画的に彼が作ったのかは別にしろ「飯場」がもしも今の世にあればどんなに多くの「日雇い達」が助けられるだろうか。しかし今では土地が高すぎて「飯場」での共同生活は「採算」が取れるはずがない、全て「バブル」が狂わしてしまった。弟の話では「安藤社長」はその後、連れ込みのホテル経営で成功しながらも「ガン」に犯されかえらぬ人になったと言う。まさに「波乱万丈」の人生だったと思う。どうしてあれだけの規模の「鉄筋会社」を一代で苦労して作っておきながら意図も簡単につぶしてしまったのだろうか、これだけは理解に苦しむ。まー「夜の商売」に手を出さず本業一筋でチバっていれば・・・と何度も書くように惜しいじつに惜しいのである。あの頃「飯場」の中で、「アオちゃーン、クロちゃーん、ゴンちゃーん仕事だよーおきろーおきないかー」暗いうちにあっちこっちの部屋からこだまする魑魅魍魎達の巣窟をいまだに懐かしむ。あの「飯場での共同生活」は体験しようと思ってもナカナカできるものでない。今ではもう、無理だろうな?


            (日)晴れ  PM9:23



Posted by かんから・カン 店長 at 10:46│Comments(0)
 
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