2011年07月06日
弟が・・・弟が・・・No-5
実家で葬儀を行ったのだが、新聞の告別式の蘭に弟の葬儀を掲載しなかったせいか余りにも少ない参列者でボクは「弟の葬儀」がこれでよかったのか、反省とともに落ち込みかなり後悔した。しかし、小さい頃に住んでいたトタン葺の木造の余りいい思い出のない実家の隣近所の幼なじみや、塗料で汚れた両手を何ともせず黒い喪服で訪れたかんからの常連の社長が訪ねてきたときには、さすがに涙がほほを伝わるのを留める事ができなかった。弟はずいぶん長い間「そううつ症」で入退院を繰り返した事は前に書いたのだが、彼らもおそらく弟の事は知っていた事だろう。しかし、小さい頃お世話になった隣近所の方たちはどこで弟の葬儀のことを知ったのだろう、これが不思議でならなかった。やはり小禄は小さな村の寄せ集めである。隣近所の方たちは弟と幼い頃から遊んだりしたり、彼の過去を知った人たちだったから弟もこれで満足したのか、それとも自分の最後のぶざまな姿を隣近所の幼友達たちにに見られたくなかったのだろうか、今となっては答えを見つけることは不可能だが・・・。そして最後の儀式が待っていた。門中墓への納骨である、誰かが中へ入り弟の遺骨をあの穴倉=門中墓へ納めに行かないといけない。時間がないので(夕刻近くなっていたので親戚の年配方から「遅い遅い」の苦情が聞こえだしてきた)「ボクが行きます」ボクは極端な閉所恐怖症だが仕方なし入っていくしかなかった。「遺言状」にも書いた事だが、ボクは沖縄のきれいな海に「散骨」するように書いてあるのだがーボクの家族みんなーその時心底この穴倉へ納骨される事に異常な抵抗感を抱いた、まして苦労に苦労をさせていただいた前の家族とまたもや一緒に納骨されると思うと死んでも死に切れない。「必ず化けて出てやる」今回の葬儀の儀式を通じて小禄では自分の葬儀を「密葬」で行う事がかなり困難な事だと思った。
(水)曇り PM7:49
(水)曇り PM7:49
Posted by かんから・カン 店長 at 19:49│Comments(0)