2011年11月27日
娘が12歳になって No-3
何度も書いて恐縮なのだが「人生には絶対的チャンス」があると思う。これを見逃す人と手に入れる人との差は何なのだろうか?これはぼくにも未だわからないのだが、ただ一言言えることは「無我夢中」でそのことに「一生懸命」にやってきたかであろう。「無欲無心」と言ってもいいのかもしれない。ぼくの場合をたとえてみたいのだがおそらく「父親」が「余命3年」と担当医から告白されなければかんからはありえなかったと思う。そして今頃は何をしていたのだろうか?考えてみただけでそら恐ろしくなる。今4人の子持ちだがもし「設計事務所」の生業を続けていたら下の3人の子供達はこの世に存在しなかっただろう。それほど「設計事務所」の経営とは金銭的にうまくいくものではなかった。もし儲けても後ろめたい気持ちが強く「事業」としてはかんばしいものではなかった。しかし「夢」だけは常にあった。自分が創造したものがこの大地の上に何十年として建つのだからこれ以上の「自己満足」もない。しかし、何度も言うように経営的には絶対に成り立たない。下の3人の子がこの世に存在するのも「設計事務所」に見切りをつけたからである。彼らの「生命の存在」と言うのもこう考えてみると不思議なものである。なかったものがあるのだから。これも彼らの「チャンス」だったと言えるのかもしれない。以前にぼくは子供達に「お父さんは君らを世に出すために生まれてきたのかもしれないな」と言い放ったことがある。禅問答に近いのだが人の一生とはその繰り返しなのかもしれないなー、その繰り返しが人類として確立されてきた.たわいもないことである。
10月13日(木) 曇り AM11:27
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Posted by かんから・カン 店長 at 22:24│Comments(0)