2013年06月19日

山内先生 其の2

以前にも書いたことだが(何回も)ボクがサッカーを始めたきっかけは家に帰るのが嫌で嫌で何でもいいから何かをやらなければ自分がだめになるような気がして始めたのである。中2のときだった。あのころの家庭環境は筆舌にできないほどぐちゃぐちゃ。とにかく家に帰りたくなかった。自分の悩みを発散する場所がほしかったのである。最初は野球部に入部を決意して部室を訪ねたのだがその時の条件がアンダーシャツやソックス等をそろえなければ入部できなかった。つまり金がかかるスポーツであることをその時初めて知る。お袋にそれらをそろえないと野球部に入れないことを言うとにべもなく「そんな金はどこにあるか」の一言であきらめざる得なかった。あの頃サッカーがどんなスポーツなのか全く知らず体育着でサッカーができるということだけで入部したのである。野球が世界的スポーツになれないのは用具にあまりにも金がかかりすぎるゆえと今になって思う。サッカーはボールひとつあればいい。それで世界的スポーツになれた。ボクの性格として人に負けることが大嫌いであり、まして家に帰ることも嫌なものだからおのずと練習する時間が誰よりも長くなる。最終バスに乗り遅れて松川から小禄までランニングしながらかえっ\たことも何度かあった。高校の後輩がお店に来て誰もが言うことは「上原さんは一番遅くまで練習していた」と言う。何のことはないぐちゃぐちゃな家に帰りたくないばかりに遅くまでボールを蹴っていたのである。その事を、ボクの家庭環境の実態を山内先生は知っていたと思う。それで高校最後の3年のときにボクを沖縄選抜に選んでくれたと思う。先生の温情であったと思う。そして、沖縄選抜だったという肩書きがその後のボクの人生をおおきく変えたのである。まさかあのときにサッカーが人生に多大な影響を与えることなど微塵も考えたことない。ただいえることは高校のときは一生懸命にボールを蹴りまくっていた。怒りと憎しみと不条理に。



Posted by かんから・カン 店長 at 11:12│Comments(0)
 
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