2016年06月16日
建築士から居酒屋の兄ちゃんへ 其のー2
ボクの実家のことを知らない人からすると信じられないことかもしれないがとにかくまともな家庭環境ではなかった。両の親が親らしい教育をちゃんと受けてないものだから子供たちをまともに育てられるはずがない。あのときは気付かなかったのだが母親は精神分裂症、一種の強い躁鬱症を患っていた、と確信できる。いつもぐちゃぐちゃな日々を繰り返していた。それゆえボクは自分の子供たちには最低限の教育だけは身につけさせたい。常識的な会話の中で相手を理解できる知力である。最低限の教育を受けていない末路をいやというほど見てきたものだからである。お客様の中に実家の近所に住んでいた先輩がたまさかお見えになるのだが「君はよくあの中でひねくれずここまで来たなー」と声をかけ励ましてくださる。これは二人にしか理解できない過去の実家の苦い歴史の事実である。ちょっと横道にそれてしまった。今では母親と弟…4男・・・しかいないのだが二人の面倒だけは最後まで見なければならないと思っている。そのためにもこの居酒屋を始めなければならなかった。設計事務所の経営で自分の家族、親、弟の生活まで見ることは絶対不可能である。これが居酒屋を始めなければならない最大の理由であった。他にも幾つかある。設計という業務にとことん疲れてしまった。業者と施主の中を持つことに疲れ嫌気をさしてしまった。東京の設計事務所の修行時代を知る友人は「あんなに設計に燃えていた君が居酒屋をやるとは。でも本当は今でも設計をやりたいのではないのかい」と思惑気味にカマをかけるのだが「絶対にない。ボクは二股をかけるのは嫌いだ」と断言する。それとPC(キャド)の出現である。これから設計業界はとんでもないことになるぞとの予感がした。これが17年前のことである。ボクの読みは完全に的を得てしまった。設計の仕事に夢を託す人が少ない、あまりにも少なすぎる。続きます。
Posted by かんから・カン 店長 at 19:17│Comments(0)